平野 原作の世界観を尊重していただき、素晴らしいかたちに仕上げていただきました。
 小説自体、映画にするにはかなり長いし、テーマも重層的。どこの部分をどうするかによって、原作からかけ離れたものになる可能性もあったと思いますが、映画の持っている雰囲気、全体から感じ取れる印象が、十分に生かされています。それが作者としては一番ありがたかったし、うれしかったところですね。

西谷 (処女長編)『日蝕』から読ませていただいていますが、知性、感性はもとより、平野さんの超越的な筆力、並外れた文章力。これは、映像として具現化する人間にとってはとても、こわいこと。ただ、純文学と向き合えるというのも、すごく大きなチャンス。不安と喜びが入り混じった状態でした。
 尊重したいと思ったのは、ダイアローグ、そして音楽。要は「音として発するもの」には忠実に。よく映画ではモノローグで心情を説明する。もし平野さんが映画用にモノローグを書いてくだされば可能性もあったかもしれませんが、『マチネの終わりに』の場合はモノローグを使うと違ったものになってしまう。では心情表現をどう映像化できるか。それが勝負でしたね。

平野 (小説は)音楽が非常に重要な作品なので、(映画の)BGMがほぼクラシックギターだけ、というのも素晴らしくて。(原作とも縁の深いクラシックギタリストの)福田(進一)さんも(演奏者として)かなり頑張ってくださいました。そういう意味では、自分の夢がかなったような作品でしたね。

西谷 映画のサウンドトラックは、全て蒔野(聡史)が奏でている表現にしたかったんです。世界には国境、分断、対立はあるけれど、この世は美しい音楽にあふれているということが描きたくて。

平野 いま、みんな、現実に疲れている感じがしています。政治も経済も、社会の中に分断があって。なので束の間、たとえば音楽なら音楽という美しい世界にひたって、現実とは違う時間を過ごすということは重要じゃないかと思っていました。
 設定を考えたとき、イラク戦争というモチーフがあって。僕はロバート・デ・ニーロが出た『ディア・ハンター』という映画が好きでしたが、あの映画には「カヴァティーナ」というクラシックギター曲が流れます。考えてみると『禁じられた遊び』もそうですけど、戦争とクラシックギターの静かな調べがすごく強いコントラストで印象に残っていて。胸が痛むシーンとクラシックギターの優しい音はいい組み合わせだなと。ある意味、映画からヒントを得た小説が映画になるのは面白いなと思いました。

平野 実は蒔野は、福山(雅治)さんほどイケメンはイメージしてなかったんです(笑)。でも、映画を観てみたら、とても立派に見えました。作中の人物が喋ってる感じがしました。今回、福山さんとも個人的にお話させていただきました。いろいろ共感するお話がありました。蒔野は僕ではないですけど、僕が共感する人物として描いている。そういう意味では福山さんも主人公が感じているものをかなり理解してくださったのだと思います。
 西谷さんもそうですが、福山さんも石田(ゆり子)さんも原作を気に入ってくださっていて、すごく意欲的に取り組んでくださったのが何よりだったと思います。

西谷 平野さんの文学を楽しみたい。文学に身を委ねていたい。そこは役者さんと自分に共通認識がありましたね。やはり、この小説への感銘がないと、映画上の登場人物が声として発する言葉にリアリティを持たせるのは、なかなか難しいと思いますね。

平野 伝統的な日本文学の中にある女性像とは違った女性像を描きたいと思っていました。現代的で活動的な。昔の戦争映画は、男が戦場に行って、女性が待っている。それを逆にしたほうがいいんじゃないかなと思ったんです。
 石田さんは、すごく良かったです。仕事もバリバリしていて、「完璧すぎる」と演じ方によっては、嫌味に感じられる可能性もある女性ですが、石田さんは、好感の抱ける人物として美しく演じてくださいました。彼女の心の中にある繊細な葛藤を非常に上手く演じてくださった。チャーミングなシーンはほんとうにチャーミングでしたし。

西谷 これは撮りながら福山さんとも話したことですが、蒔野にとって洋子は恋愛だけではない。アーティストとプロデューサーみたいな新たなモノを作りだそうとする人間関係だなと。そこがより人間ドラマの厚みを増させるのかなと。
 あと、撮っていて再認識したんですが、充実した原作を映像化していくときには、いくつもの描いてみたくなるエンディングが生まれるんです。エンディングは閉じるのではなく、個人がその先を想像する始まりだと。この原作に出会い、再びそう思わされました。

平野 小説は新聞連載で、WEB上でも公開していたので、コメントが書けるようになっていたんですね。だんだんゴールが近づいてくると、ふたりが再会してほしい!という読者の熱が強くなっていった。再会した後、どうなるかは、個々にものすごく思い入れがあって。読者のイマジネーションがふくらんで、読んでる人同士でも会話がすごく活発になっていた。だから、そこは余韻をもたせて終わったほうがいいなと考えるようになりました。「あの後、どうなったと思う?」と、最後の場面について語り合う。読者の間でもそういうことがあった。映画もきっと、観た人は、「どうなったのかな?」と話したくなると思います。ぎりぎりのところまで描いて、最後はふっと観る人に委ねる……映画も、僕が原作で狙ったような効果を尊重した終わり方にしてくださっていたので感動しました。

西谷 2時間の映画を観た後、その延長線を観た方たちで想像してくれるといいかなと思います。

平野 映画を観ていて、僕自身、あのふたりにもう一回再会してもらいたい、という気持ちになりました。こうだったらよかったのにな……あのとき、なんでこうしなかったんだろう……こうしたかったのに……過去にそういう想いを抱えている人たちに強く共感された物語でした。
 この美しい映画をご覧になった方も、きっとそのような気持ちになると思います。
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